第4話『ついに動いた「大丈夫な人」』(鍼灸師視点)
1.いつもの予約リストに、見慣れない名前
その日、予約リストを確認していた私は、見慣れない名字を見つけた。
(あれ……?この名字、どこかで聞いたような……)
予約表を開いてみると、新規患者の欄に「腰の痛み」と記載されていた。
さらに、「整形外科・整骨院を受診済み。現在も違和感が残るため来院希望」と補足がある。
その瞬間、ピンときた。
(あぁ……ついにあのご主人の腰が悲鳴を上げたのね…)
2.3年越しの伏線回収
思い返せば、彼の妻はもう3年近くここに通っている。
産後の体調不良がなかなか改善せず、身体を整えるために鍼灸を始めたのがきっかけだった。
最初の頃は月に2回ほど来院されていたが、今では月1回のメンテナンスで体調を維持できるようになっている。
施術の合間に、時々夫の話もしていた。
「うちの夫、全然ケアしないんですよ。どんなに疲れてても『大丈夫、大丈夫』って言うタイプで。」
「前に『鍼もいいよ』って勧めたこともあるんですけど、『いや、まだいい』って流されちゃって……。」
「でも最近、腰が重く感じるみたいでちょっと困ってるみたいだから、もしかしたら鍼に興味持つかなって思ってます。」
(あーー。そういう人ほど、いざ痛めると大変なことになるんだよね。)
何度か「そろそろ旦那さんもケアしたほうがいいですよ」とやんわりおすすめしてはいたけれど、奥さんはいつも苦笑いしながら「言っても聞かないんですよ〜。自分で決めないと動けないタイプなんです」と言っていた。
——そんな彼が、とうとう予約を入れてきた。
(これはもしかして、相当痛めたんじゃなかろうか…?)
3.ついに来院した「大丈夫」な人
予約時間になり、ついに「大丈夫な旦那さん」がやってきた。
「初めまして、今日はよろしくお願いします。」
「よろしくお願いします。では、腰の状態を詳しく教えていただけますか?」
彼は少しバツが悪そうにしながら話し始めた。
「えっと、最初はただの疲れかなって思ってたんです。でも、痛みが引かなくて……整形外科では『骨には異常なし』って言われて、整骨院にも行ったんです。」
「あぁ、○○整骨院さんですね。私も何度か患者さんを紹介していただいたことがあります。」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。あそこの先生、腰の治療が得意で、スポーツ系の患者さんも多いですよね。」
「そうなんですよ。で、その先生に『鍼灸を試してみるのもいいかも』って勧められて……。」
「なるほど。それで来てくださったんですね。」
「……まぁ、実は妻にも前から鍼灸いいよって言われてたんですけど……。」
私は思わず微笑んだ。
(やっと来てくれたんだし、少しでも鍼灸が気に入ってくれるといいんだけど…)
4.初めての鍼と「響き」
「では、まず身体の状態を確認していきましょうか。」
彼は少し不安そうにしながら、ゆっくり立ち上がった。
「まず、前かがみになってみてください。」
「はい……っつ……!」
上半身を倒すにつれて、彼の顔がわずかに歪む。
「痛みはどこに響きますか?」
「腰の奥ですね。あと、お尻のほうまでじわーっと……」
「なるほど。他にも、違和感のある動きはありますか?」
「腰を反らせるのもちょっとキツいですね。あと、長時間座ってると重だるくなります。」
私は頷きながらメモを取る。
「わかりました。では、これを踏まえて施術していきますね。」
うつ伏せになってもらい、鍼着を少しずつずらしていく。
「お尻の緊張と下半身の張りが強いので、お尻の方まではだけさせますね。」
「わ、分かりました…」
少し戸惑い気味の声が聞こえるが、特に気にせず準備を進める。
アルコール消毒を終え、いよいよ施術開始。
「では、これから鍼をしていきますね。痛かったり、違和感があったら教えてください。」
「……あ、はい……。」
プスッ。
「……あれ?これ、もう刺さってるんですか?」
「はい、もう入ってますよ。」
「え、本当に?……思ったより全然痛くない…」
「そうですか。では、もう少し深い層の筋肉へ刺していきます。」
「……んっ!?なんか……ズーンとくる……!」
「それは“響き”ですね。」
「……うわ、変な感じする……!」
「もし強すぎるようなら調整しますが、大丈夫ですか?」
「いや、少しびっくりしたけど大丈夫そうです。」
最初は驚いた表情を浮かべていたが、やがて「……これ、効く気がするな」とぼそっと呟いていた。
5.次回はパルス?
「今回は初めてなので、少し軽めにしておきますね。」
「え、鍼にも強弱があるんですか?」
「はい、刺激の量を調整できます。例えば、鍼に微弱な電気を流す『パルス治療』という方法もあるんですよ。」
「え!?電気流すんですか?(柔整師の先生が話していたやつか?)」
「はい、パルスを使うと、筋肉をリズミカルに動かしてより深い緩みを出せます。でも、初回から強い刺激を入れすぎると身体がびっくりして怠さが強く出ることがあるので、今日はまず『置く鍼』で様子を見ますね。」
「そんなこともできるのか……!」
彼は「へぇ……」と感心しながら、静かに目を閉じた。
6.そして、お灸の力
鍼をしている間に、お灸の準備も進める。
「今日はお灸も一緒に使いますね。」
「え、お灸ってあの燃やすやつですか?」
「そうです。でも、直に皮膚の上に置くわけではなくて、『台座灸』という種類を使います。」
「へぇ……それなら安心かも。」
私はお灸に火をつけ、彼の腰とお尻周りに置いていく。
じんわりと温かさが広がる。
「うわ……なんか、じんわり温かさが入ってくる感じがする…これ、すごい落ち着く……」
7.ついに回復へ
施術後、ゆっくりと立ち上がった彼は、軽く腰を回してみる。
「あれ……?なんか、動きやすい……」
「血流がよくなると、筋肉の奥の緊張が少しずつ緩んでくるんですよ。でも、当分無理はしないようにしてくださいね。楽になると途端に動き回る方が多いので!」
「はい……気をつけます……。」
ふと、彼がポツリとつぶやく。
「……これなら、また肩車できるかな……?」
私は微笑んで答えた。
「焦らず、もう少し回復してからにしましょうね。」
——彼は少し照れくさそうに頷いた。